広島県尾道市。中南米やアフリカに海外進出のお手伝い。アルパカ製品や中南米の民芸品を販売。中南米やアフリカへの個人旅行のお手伝い。海外撮影旅行のアレンジ及び同行案内。

海外赴任国

中南米     ホンジュラス共和国スリナム共和国 | ペルー共和国
アフリカ    モロッコ王国 | カーボベルデ共和国 | ギニア共和国 | ガボン共和国 | ナミビア共和国 | セーシェル共和国


赴任国:ホンジュラス共和国
(Republic of Honduras)



赴任期間1980年10月より1982年10月(2年間)
派遣機関国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊(JOCV)
協力相手先ホンジュラス共和国  天然資源省
主な活動
  • カリブ海沿いの町(ラ・セイバ)を拠点として、オモア、プエルトコルテス、テラ、ラ・セイバ、トルヒーヨ等のカリブ海沿いの各漁村を廻り、現地の漁業の現況を調査した。
  • その結果、現地の漁師の漁獲する魚で、鯛類などの底魚は市場価値があるものの、海なまず(現地名:チュンテ)や鮫類は市場に出しても売れず、投棄されるか、自家消費される魚であることが分かった。
  • 漁民の現金収入の向上を目標に、この2種類の魚を原料として魚肉ボール(現地名:アルボンディーガ・デ・ペスカード)の試作や試食を繰り返し、ホンジュラスの々に受け入れられそうなものを作った。
  • 漁師の奥さん達を対象に、セミナー方式で魚肉ボールを簡単に自宅で作れる方法を指導した。
想い出  ホンジュラスに赴任中の協力隊員の仲間うちで、ラ・セイバのカーニバルのお祭りに、協力隊員も参加しようという話が持ち上がり、手の器用な隊員(職種:船大工)を中心に皆の手作りでお神輿を作り、協力隊員の有志全員が法被・鉢巻姿でお祭りに参加した。
全員でお神輿を担ぎ、掛け声をかけながらお祭りの沿道を練り歩いた訳だが、初めて見る日本のお祭り姿に、地元ホンジュラスの人々より喝采を浴びたことが、楽しい想い出として残っている。

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赴任国:スリナム共和国
(Republic of Suriname)



赴任期間1983年12月より1986年9月(2年9ヶ月)
派遣機関財団法人  海外漁業協力財団(OFCF)
協力相手先スリナム共和国  農牧水産省
主な活動
  • 首都パラマリボから西に約80kmの地点にある漁村(ボスキャンプ村)に対する漁業と水産加工分野の開発援助を行った。
  • 海外漁業協力財団は、漁具漁法の専門家2名と水産加工の専門家2名の計4名の体制で専門家をスリナムに派遣した(私は水産加工担当)。スリナム側のカウンターパートは、農牧水産省と漁業開発公社の職員より各2名の計4名が選ばれ、共同でスリナム・プロジェクトを運営した。
  • ボスキャンプ村には、財団の経費で水産開発センターを建設し、このセンターを活動の中心として、漁労指導グループの漁獲した魚、海なまず、にべ、鮫類を原料として、燻製品と魚肉ボールを試作し、製造方法を指導した。
  • 試作品を漁業開発公社の直売店で販売した。
想い出  スリナムに赴任する少し前に、スリナム国内で軍事クーデターがあり、宗主国であるオランダからの支援・援助が打ち切られた直後であり、物資不足が深刻な時期であった。町のスーパーマーケットには、物資を並べていない棚が多くあり、鶏肉やジャガイモの売り出し日(貨物船の入港の翌日)には、物資を求める人で長蛇の列が出来た。
物資の買出しに隣国(仏領ギアナ)に行った際、国境の川を乗り合いのカヌーで渡って見た仏領ギアナの小さな国境の村が物資に溢れた素晴らしい所に見えた。(人参、玉葱、ジャガイモ、トイレットペーパーなどを車にいっぱい積み込み、スリナムに戻って来た)
物資の溢れる日本では、とても想像出来ないが、今でも、人参や玉葱を見と、このスリナム時代のことを思い出す。

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赴任国:ペルー共和国
(Republic of Peru)



赴任期間1999年4月より2000年3月(1年)
派遣機関財団法人  海外漁業協力財団(OFCF)
協力相手先ペルー共和国  漁業省
主な活動
  • 首都リマを仕事及び生活の本拠地とした。
  • ペルー国立水産加工センター(ITP)に、財団の経費で鰯すり身及び魚肉ソーセージの実験工場を建設した。
  • 最盛期には、すり身日産3トン、魚肉ソーセージ日産3トンを製造し、ペルー政府の貧困層への援助機関(PRONAA)を通じて、食料援助を実施した。(フジモリ政権に対する支援の一環として実施した。)
  • すり身の原料は、当初、アンチョビや鰯を予定したが、エルニーニョにより鰯やアンチョビの漁獲が低迷し、その代替として、ホウボウやコノシロを原料としてすり身を生産した。
想い出  ペルーは赴任期間1年と短かったが、暇を見付けてはよく国内を旅行した。 特に想い出に残っているのは、インカ文明の古都クスコや、遺跡類(サクサイワマン、オリャンタイタンボ、マチピチュなど)を訪れた旅である。 インカ文明は、石組みの正確さや灌漑や農業の分野にも高度に発達した文明であることが分かった。この旅をきっかけに、ラテンアメリカの考古学や民俗学に興味を持つようになり、現在も文献を集めて読んでいる。
 もう1つの想い出は、ペルー滞在中、フジモリ大統領を表敬訪問したことである。(財団理事長の表敬訪問の随行員として)フジモリ政権9年目で、テロ対策やインフレ対策、雇用対策等々、また政敵も多く、大変の時期であったのであろう。眼光の鋭い、一種の殺気さえ感じさせる政治家であった。なお、ペルーの国民には、今でもフジモリ大統領の業績を高く評価している人が多い。(特に貧困層に多い)

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国名:モロッコ王国
(kingdom of Morocco)



赴任期間 1988年12月より1993年2月(4年3ヶ月)
派遣機関財団法人  海外漁業協力財団(OFCF)
協力相手先モロッコ王国  漁業省
主な活動
  • モロッコの商都カサブランカより大西洋に沿って南に800kmの所に位置するアガディール(モロッコ屈指の漁港)を仕事と生活の拠点として活動を行った。
  • 海外漁業協力財団より専門家3名(水産加工専門家1名、業務調整員1名)、モロッコ側は水産公社よりカウンターパート8名の体制で「モロッコすり身プロジェクト」を運営した。
  • アガディール港内の漁業公社所有の水産冷蔵施設を財団の経費で改装して、その上、すり身関連の機械類を供与して、すり身の実験工場を建設した。
  • この実験工場にて、鰯を原料とするすり身の製造と、そのすり身を用いた二次加工品(フィッシュボールやフィッシュハンバーグなど)を製造し、その製造方法を指導した。また、試作品の販売試験を実施した。
想い出  モロッコは異国情緒に富み、且つ、歴史的な見所や自然の見所に富んだ国で、生涯に一度は訪問する価値のある国の1つである。モロッコ赴任中、暇を見付けてはよく国中を旅行した。
特に想い出に残っているのは、古都マラケッシュを訪問した後、アトラス山脈を越えてカスバ街道を通り、サハラ砂漠まで旅をしたことであろう。
モロッコの雄大な自然を旅して、悠々と流れる時間、そして、自然と共に生きる地元の人々の生活を垣間見た。
ここの人々は、多分、百年前も今と同じような生活をしていたであろうし、また、多分、これから百年後も同じような生活をしているのではなかろうか、とふと思った。慌ただしくて、変化の激しい東京に居て、変化しないことも、また大切なことではないかと思う時に、モロッコのあの旅で出会った人々のことを思い出すことがある。

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国名:カーボベルデ共和国
(Republic of CapeVerde)



赴任期間 2000年12月より2001年3月(3ヶ月)
2001年10月より2004年3月(2年5ヶ月)
派遣機関財団法人  海外漁業協力財団
協力相手先カーボベルデ共和国  環境農業水産省
主な活動
  • カーボベルデ第二の都市ミンデロに仕事及び生活の拠点を置く。
  • 財団より専門家3名(水産資源1名、漁具漁法1名、業務調整1名)、カーボベルデ側より国立漁業開発院(INDP)カウンターパート4~5名で、「カーボベルデ資源調査プロジェクト」を運営した。私は、業務調整員として業務を担当した。
  • プロジェクトの事務所をミンデロの国立漁業開発院の中に設けた。
  • 調査船シナゴガ号(32トン)を用いて、カーボベルデ海域の資源調査(対象魚:ムロアジ、ドブラダ、ウツボ)を行った。
想い出  カーボベルデの一番の想い出は、カーボベルデの友人と共に「日本・カーボベルデ友好協会、通称:たけのこ会」を作ったことである。
ことの始まりは、私の仕事のカウンターパートを財団の研修生として日本に送り、鹿児島大学で9ヶ月間、漁業管理部門について学んだことに始まる。日本での生活習慣や日本人の考え方などが、彼の価値観と合ったのだろう、すっかり日本が気に入って、研修が終わりカーボベルデに帰国するなり、我々に「日本・カーボベルデ友好協会」を作ろうではないか、と言う話になり、結局、彼を中心に発起人10人(カーボベルデ人5名、日本人4名、ペルー人1名)で、カーボベルデ国での正式なNGOとして、この会を立ち上げた。
日本大使館の協力を得て、ミンデロ市内の中学や高校の図書館に日本紹介の小冊子を配り、授業の一環で、日本紹介のビデオを学生達に見て貰ったりした。また、大使館の「草の根無償資金」をこのNGOを受け皿として受け入れ、貧民地区の給水施設やトイレを造り、草の根レベルでの協力を行った。

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国名:ギニア共和国
(Republic of Guinea)



赴任期間2006年1月より2006年3月(3ヶ月)
派遣機関財団法人  海外漁業協力財団
協力相手先ギニア共和国  漁業養殖省
主な活動
  • ギニア共和国の首都コナクリに仕事及び生活の拠点を置く。
  • ギニアでの仕事は、かつて欧州や日本の援助でギニアに供与された水産関連施設(製氷施設や冷凍庫など)が経年やメンテナンス不足で、老朽化しているものを、財団の資金で技術者を派遣して施設の修理修復を行い、これらの施設を再活性化させることを目的として、事業を実施した。
  • 実際の施設の修理修復には、冷凍施設のメーカーから技術者2-3名を派遣し、弊方は、プロジェクト全体の調整員として業務を担当した。
  • 老朽化して使用出来なくなった施設が、機械類を新しいものと取り替えたり修理して、再度、施設が使用可能となるこの財団のプロジェクトは、協力相手先のギニア政府より大変感謝された。
想い出  ギニアは、私が赴任した経験のある国の中では、最も1人当たりのGDIが低い国で、道路や電気などのインフラ整備が、可哀想になるくらい遅れていた。
首都コナクリと言えども、電気の供給量に限界があり、毎日、最低1回は停電になり、夜間はローソクの生活を余儀なくされた。電気が止まると、水道のポンプも止まるので、水も使えなくなる。
電気や水道が不自由な生活を体験して、日本では空気と同じように、電気や水道が有るのは当然と感じているが、このことは、国が安定し、ある程度発展していることの証であり、大いに感謝すべきことだと感じた。
ただ、夜間、テレビやPCを見ずに、ローソクの光で、心静かに本を読む生活も、なかなか味わいがあって良かった。

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国名:ガボン共和国
(Gabonese Republic)



赴任期間2004年12月より2005年3月(3ヶ月)
派遣機関財団法人  海外漁業協力財団(OFCF)
協力相手先ガボン共和国  森林経済・水利・漁業・環境・自然保護省
主な活動
  • 生活の拠点をガボン第二の都市ポールジョンティに置き、そこから仕事の拠点であるオンブエに、船や飛行機で往復して、業務を行った。
  • ガボンでの仕事は、ギニアと同様に、かつて欧州や日本から供与された水産関連施設(製氷施設や冷凍庫など)が経年やメンテナンス不足で、老朽化しているものを、財団の資金で技術者を派遣して、施設の修理修復を行い、これらの施設を再活性化させることを目的としたもの。
  • 実際の施設の修理修復には、冷凍機のメーカーから技術者2~3名を派遣し、弊方は、プロジェクト全体の調整員として業務を担当した。
  • 老朽化して使用出来なくなった施設が、機械類を新しいものと取り替えたり、修理して、再度、使用可能となるこの財団のプロジェクトは、協力相手先のガボン政府より大変感謝される事業であり、且つ、遣り甲斐のある事業であった。
想い出  仕事の拠点となったオンブエは、外部から村に通じる道路が無く、船か小型の飛行機でしか行けない陸の孤島であった。
ポールジョンティから仕事場であるオンブエまでの船旅が面白く、「これぞアフリカ!」と言う体験で、原生林のジャングルの中に網の目のように張り巡った川を4~5時間かけて航行して行くのだが、途中には野生のサルやワニや大蛇などが出てきそうで、なかなか興味深かった。
ポールジョンティの市場には、野生の動物を扱う売り場があり、ワニや野じか、イノシシ、ハリネズミ、そして大蛇や猿などを食料として売っていた。私も、ガボン人の友人の案内で、町の食堂で、猿の煮込み料理やワニの煮込み料理を食べてみたが、ワニの方は、なかなか美味であった。

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国名:ナミビア共和国
(Republic of Namibia)




赴任期間1994年1月より1999年1月(5年)
派遣機関財団法人  海外漁業協力財団(OFCF)
協力相手先ナミビア共和国  漁業海洋資源省
主な活動
  • 首都ウイントフックより西に約400km、大西洋に面する町(スワコプムンド)を拠点として活動をした。
  • ナミビアの漁業海洋資源省管轄のスワコプムンド海洋研究所にプロジェクトの事務所を設け、財団より専門家2名、ナミビア側よりカウンターパート2~3名で、「ナミビア魚食普及プロジェクト」を運営した。
  • 日本より資源調査船をナミビア海域に回航して、同海域の資源調査(アジ、メルルーサ、アンコウ他)を行った。
  • ワルビスベイ(後にアランディス)に水産加工実験室を建設し、この実験室でアジやメルルーサを原料に魚肉ボールや魚肉ハンバーグを試作し、ナミビアの人たちに受け入れられる試作品を完成させた。
  • 首都の大手スーパーマーケットなどで、試作品の販売試験を行った。
  • ナミビアの人々に魚食のメリットを啓蒙するため、マスメディア(テレビ、ラジオ、新聞等)を通じて、魚食普及キャンペーンを実施した。
想い出  ナミビアは5年余の長期に亘る赴任となったので、想い出の数も多いが、その中でも、あるナミビア人の友人との思い出が多い。 彼は、数百年前のヨーロッパ(オランダ)からのアフリカ開拓者の子孫で、開拓時代の名残と思うが、アウトドアライフの権化みたいな人物であった。
暇を見付けては「いさお、キャンプをしよう」、「いさお、イセエビを捕りに行こう」、「いさお、釣りに行こう」と私をよく誘ってくれた。そして、ナミビアは我々の期待に十分応えてくれるだけの自然の豊富なところであった。彼からは、お金を掛けずに如何に余暇を楽しむかを学んだ。
日本では、お金を掛ける余暇に慣れているが、ふと、ナミビアのアウトドアの権化のことを思い出す時がある。

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国名:セーシェル共和国
(Republic of Seychelles)




赴任期間2007年2月より2008年6月(1年4ヶ月)
派遣機関財団法人  海外漁業協力財団
協力相手先セーシェル共和国  環境・天然資源・運輸省
主な活動
  • 首都ビクトリアに仕事と生活の拠点を置いた。
  • 海外漁業協力財団より専門家2名(水産加工1名、漁業1名)、セーシェル側よりカウンターパート2名の体制で、「セーシェル・プロジェクト」を運営した。
  • セーシェル側の資金で水産加工実験室の上屋を建設し、財団の資金で同実験室に設置する水産加工の機械類を供与した。
  • セーシェルでの未利用資源を上手く活用する手段として、魚肉ボールや魚肉ハンバーグを紹介し、その試作を試みた。
想い出  セーシェルの海や海岸の美しさは、本当に目を瞠るものがある。
その中でも、休暇を利用して訪れた「バードアイランド」の美しさは、特に記憶に残っている。
バードアイランドは、首都のマヘ島から北に約100km離れた珊瑚礁と白浜のビーチに囲まれた小さな島(面積6km2程度)で名前の如く鳥たちの楽園の島で、島の殆どの木々やバンガローの軒先に、鳥たちが巣を造って、卵を暖めたり、雛を育てたりして、本当に自然と共に生活しているのを実感できる島であった。
また、この島には天然の象亀が20頭近く居て、島を訪れる子供たちの恰好の遊び相手となっていた。海はとても美しく、海水の透明度がとても高く、珊瑚礁の周りに生息する小魚を水マスクを付けて潜ると、水族館の世界を現実に見ることが出来た。島の楽しさを満喫し、家族4人とも、真っ黒に日焼けして首都のマヘ島に戻って来た。

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